下関から北九州 その6 長門一宮 住吉神社 摂社  七社神社後半 〜 神様アスリート 

ども!むいさんです!

神社の解説始めたら、
まー、止まらん!!止まらんのだよ!!


<<これまでの履歴>>
1社目 彦島八幡宮
2社目 伊崎厳島神社

3社目 長門厳島神社
4社目 長門國一宮 住吉神社(前編)

5社目 長門國一宮 住吉神社(中編) 摂社 七社神社前半

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というわけで、今回は「七社神社」の後半
松尾さん・平野さん・お稲荷さんについて、
私の推察を含めた解説?を続けていきたいと思います⭐️

まだ七社だから、いいよね。。。中には十三社とかあるし。。。


まず、「松尾さん」

これは、酒造の神様として有名な京都の松尾大社と思われる。

大山咋神(オオヤマグイノカミ)市杵島姫(イチキシマヒメ)とが祀られており、
酒造・農耕・開拓・醸造の神様として、
今でもたくさんの酒造家が訪れ、日本酒が御奉納されている
酒好きにはたまらない神社なのです。
(別に、飲めるわけではない)

キタキタ、農業神。てか、ようやく出てきたよ😅
今まで「戦うぜ!?」「國、護っちゃうぜ!」系だったので、
やっと出てきた、ちょっとホッとする感じの神様。
ありがたい。。。

神様の説明をそれぞれすると、
大山咋(オオヤマグイ)は、
スサノオさんの孫に当たる神様で、山の神様

咋(グイ) = 杭(クイ) ということで、
大きな山に杭を打って所有権を主張する、ということで、
「大山に杭」=「大山咋」= 山神様になったそうな。

他にも、結界や境界を張って、
その境目を守護する神様、ということで、
鳴鏑(矢の一種で、打ったらビューッと音がして浄化するとされる)を使う神様でもある。
古事記にも出てくる神様です。

一方の「市杵島姫」は、
宗像三女神の真ん中の中津姫がその由来と言われており、
弁財天と習合している、
私にはとても馴染みの深い神様。
言わずと知れた水の神様

この辺は、おそらくこの後に行く「宗像大社」
散々語ると思われるので、割愛します😅

宗像三女神は、海の神様として知られており、
特に有名なのは、北九州にある「宗像大社」なのです。

で。

なんでこの2柱が祀られてるんだろう??って、
やっぱり疑問に思うわけですが。

元々松尾大社のある松尾山は、
綺麗て美味しい清水が湧く水の名所

大山咋は山神様で、
その山から湧き出る水を祀る神様として、
宗方三女神のひと柱である
「市杵島姫」が水神様として祀られているそうな。

それに、なんたって重要なのが。。。

醸造の神様+水の神様 = うまい酒!!!

で・す・よ・ね〜

まぁ、松尾大社も歴史が1300年以上ある古い神社で、
京都の中でも最古と言われる神社様。

ここからは私の推察だが。。

元々、「松尾山」に住んでいた豪族かなんかがいて、
それが「大山咋」の一族としていたのだろうが、
その後、渡来人としてやってきた「秦氏(はたし)」が、
当時の天皇の勅命を賜って、
こちらの地に一族の居を構えた
そうで。

こーゆーの、昔はよくあったと思われ、
偉い人の命令だから仕方ない。

きっとこの時も、
元々住んでいた人との間で、
なんかあったのだと思われる。

まぁ、戦いはなかったみたいだから、
平和的解決が行われたものとみて良いと思うのだ。

おそらく、天皇様からの勅命で
「あー、この渡来人たちをここに住まわせてやってくれー」的な
話があったと思われ。

天皇からのご命令なので、
秦氏もここに住むしかないし、
土着の氏族も無碍にできないし。

だから、後から来た秦氏の一族が、
住まわせてくれてありがとう🎵の意味も込めつつ、
土着の氏族達を立てる意味この地に骨埋めるぜ!的な意味を含めて
(おそらく、忖度ありな感じで)
松尾山を自分たちの祖神として祀ったのが、
松尾大社の由来なんじゃなかろうか。
とね。
あくまで、私の推察でしかないけどね。

まぁ、そんな静かなドラマが当時あったと思うと、
なんだかとても心がじゅじゅ〜んとするわけで。

昔のロマンに思いを馳せつつ。。。
次!平野さん!!

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平野さんは、おそらく
京都の平野神社のことを指していると思う。

あまり馴染みのない神社のように思えるが、
メインで祀られているところ、というよりは、
摂社末社として祀られていることが多いように思う。
意外によく目にする神社さんだ。

ご祭神は、以下の4柱で、

・今木皇大神(いまきすめおおかみ) 源気新生・活力生成の神
・久度大神  (くどのおおかみ)   竈の神・生活安泰の神
・古開大神  (ふるあきのおおかみ) 邪気を取り除く平和の神
・比賣大神  (ひめのおおかみ)   生産力の神


となっており、
この平野神社ぐらいでしかみない名前ばかり。
他の伝承でも、あまりみたことがない。

まぁ、名前と意味合い的に推察するに、
生活全般のベースとなる
インフラ⭐️エネルギーの神様って感じかと。
生活に根ざしていて、なんかいい。うん。平和的。

ご利益も、厄払いと子宝運ということで、
やはり家庭運UPの意味合いが強めな神社さんなのだと思う。多分。

元々は、奈良の宮中(式内社)に祀られていたそうだが、
平安京遷都とともに京都に移され、
平安神宮ぐらい大きかった敷地が、歴史の中でちっさくなり、
(寺が勢力を持った江戸時代とか、GHQの政策とか、色々と、ね)
今は京都の北の方、北野天満宮のそばに鎮座しております。

実は、この平野神社も、掘れば掘るほど面白い神様でして。

そう、実は由来がよくわからないのです。
調べても、この今木の神なんかは、平野神社でしかみたことない。

諸説あるみたいですが、
まず1つ目が、「百済から迎えた皇后が向こうからお連れした」というお話。

新しい神様が今、来る神様ってことで「今来」=「今木」だというのだ。
誰かお笑いのYさんのギャグみたいな話・・・
う〜むむ。。。なんかしっくりこない。。。

これは私の推察だが。
生きる力、エネルギーという意味いから鑑みるに、
宮中内の神様として、
生活全般(内裏)の神として祀られたんが最初じゃなかろうか、と。

根拠がないからなんともいえないけど。。。

このラインナップからすると、
当時の生活基盤を司る神様として、
メタ認知的ポジションとしての「今木さま」がいることで、

「家事(今木さん):主神」=「だいどころ(久渡さん)」&「そうじ(古開さん)」

ってな感じで祀られてたんじゃないかなぁって気がします。

3柱で祀られるのは、どこの信仰でもよくある話で、
この方がしっくり来るというか、自然な形のような気もしててん。

つまり、元々は宮中内の家事的な雑事をする人たちのことを祀ったったと思うんですね。

そこに、比賣神様が追加されて、(家事は女性の仕事?)
4柱になったと思うんだけど。。。

どうかなぁ。

そもそも、これらの神様は、
平野神社でしか出てこなくて、しかも文献もない様子で。

日本書紀や古事記の系統にも出てこない神様だから、
なんとも調べようもなく。

ま、憶測でしかないから、
これ以上はどうにもできないという話です。

こういう日本土着?なのか、
由来がわからない神様って、結構神社にはあります。

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そして、最後のお稲荷さんですが、
これは伏見稲荷大社が祀られていると思うのです。

もー、いいよね?
伏見稲荷、解説、もういいよね??

・・・って感じでして、
これまでの流れから、この七社というのは、
やっぱり二十二社の内の上七社を祀っているのだろうと
推察されます。

一応、Wikiに解説があったので、
詳細は割愛しますが、
明治時代までは、神社に格付けがしてあったというお話しです。
これのことを「社格」と言います。

たまに地方の神社で
「郷社」とか「縣社」とか「一宮」とか見かけると思うのですが、
これは、当時のそれぞれの国(藩のようなもの)の祭祀と鎮守をつかさ取る神社。

一方で、二十二社は、これらとは格が違い、
「国家の神社」の意味合いが強い神社さんでした。

もちろん司るのは、
日本という国の統合体である国家護持
つまり、これらの二十二社はお国のための神社なのでした。

だから、災害や神社の一大事などがあったときには、
「奉幣」と言って、
国から支給金が出たりするような、
特別に大切にされていた、格の高い神社さんだったのです。

ま、今となっては神社の格の違いは取り払われたものの、
今もその名残を残していると思われるのです。

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さてさて。

立て看板には、
「住之江(住吉)と七社参れば総参り」

とあり、ここをお参りすると、
上七社を詣でたのと同じ!という意味合いみたいですね。

二十二社とか、上七社とか、
普通の人は知らん言葉が出てきてますが。。。

またそのうち語らせてもらいますわー、はははは😆

というわけで、摂社末社の内の1つ、
「七社」は今回でようやく終章!

次から、残りの摂社末社を語りたいと思います〜
(まだ続くんか〜い😅)

続く。。。