燃え尽きて、感謝を思い出す

ずいちゃんです!

2月にコロナにかかり
3月は半分以上お休みし
4月になって回復もままならず

今に至ります

こんな風に書くとネガティブに聞こえますが
心はハッピーですw

ただちょっと、燃え尽きてしまって
ついでに地震もいっぱい来ていて
エネルギーごっそり持っていかれて動けないしで。。。

。。。ちょいと、現実から逃げ出していました

ただ、逃げ出して、内観して、得心したことは

「それでも自分はハッピーだなぁ」ということ


息するだけで
胸がいっぱいになるほど感謝にあふれて
幸せに満たされる


そのことをしばらく忘れていたように思います


コロナになってからしばらく
神様と向き合うことをお休みしていたのですが
今日この瞬間にその感謝を思い出すことができて
初心に立ち返りました

「祈るようにいきる」
これが、与えられた言葉

そう、純粋に祈る
神様に向き合うということは、
ただ1点、これだけなんですよね


心の底から祈り、浄心する


ふとした瞬間に
自分を他人と比較してしまって
「自分は何も持っていない」
「自分は何も成し遂げていない」と
おのれを卑下してしまうことがあります


忙殺され、蒙昧されて、
芯の部分を忘れてしまうこともあります

そんな時、
「自分の体を全て捧げます」という誓いを思い出すのです

そうだ
今の私は、実際どうなのだろう?
とても大切な芯の部分を
忘れてやしないか?? 。。。

愚かで小さな人間である私は
時々忘れて、自分の殻に引きこもってしまいます


消えたいし、何もしたくないし、とにかく何もかもと向き合いたくない


そんなネガティブな気持ちにこもって
優越感に浸り、感情の海にただゆらりゆらりと身をゆだね

結局は自分の至悦に浸っているだけの矮小な自我意識を
侮蔑のまなざしで上から眺めている

それすらも心地よくなってしまって
本来の「魂」を忘れている状態に落ち込んで

楽、なんですよね苦笑
シンプルに「自分で自分を馬鹿にして、何もしない言い訳にする」のって
この穴には、時々落ちてしまいます


でもね


私自身の奥底に眠る魂の衝動は、抑えることはできないんです


「祈るように生きる」
「神様に全部明け渡す」

最終的に戻ってくるのは、この部分でしかない

そして、天を仰いで、浄心して、浄化の涙を少し流すと
元通りにリセットされて

「ああ、ここにいる」と、幸せを実感できる
目が覚めて、息をして、
今この瞬間「生きている」奇跡を味わうと
すべてのものがいとおしくなって、感謝が生まれます

そして、部屋を見渡して
自分がやらかした所業をちょっと反省します苦笑
心がヤサグレると、
部屋ってちらかりますよね。。。えへへ。。。(;’∀’)


さて神様って、
自分の意思にそぐわないことを人間がしても
罰を与えたりはしません

なぜなら
「人ゆえの愚かさ」をご存じで
その愚かさを「悲しいことだ」と嘆くことはあっても
お怒りになって罰を与えることはしないんです

だから、人間が神様と向き合わずに逃げている時でも
神様は人間のことをちゃんと見ていて
「いつか戻ってきてくれるだろう」と
ずーっと信じ続けてくれているんですよね


神様が罰を与えるのは
人間の愚かさではありません
そもそも、神様はどんなことも「罰」などとは思っていないのです

じゃあ、なにをしているのかって??


神様は「対価」を与えているだけなんです
その人に見合った対価を、
望むままに与えているだけなんです

と、この話は長くなりそうなので、
次の記事にしますねw

ここまでお付き合い下さり、
ありがとうございました(^^)

zuihou.phoenix
  • zuihou.phoenix

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です