よはしら目 ~ 楫の三郎山(かじのさぶろう)神社

ずいちゃんです!

前半戦、ようやく終わり。。。
ここでメイン・イベントの城ヶ島へ!!

というか、時刻は既に11:45・・・

ひゃ~、50分遅れっすよ~~~

まぁ、気を取り直してGoGo!!

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

これまでの細い道で何度も肝が冷えましたが、
城ヶ島に向かうまでは、そこまで大変な道もなく。
ちょっと狭い道をくねくね~っと行くと、
久しぶりに見る信号!! ウルっときますw

ああ、文明的な道・・・

ここから、楫の三郎山(かじのさぶろう)神社へ!

城ヶ島大橋をしゅーーん!と渡って、
いざ! 城ヶ島へ!

車運転してると、
景色を撮影できないのが残念です苦笑

というわけで、
東の方へ道を進み、
お土産物屋さんの並ぶ道をつるつるっと走っていると・・・

!!!!

左に縦列駐車してた車が、
急に右に飛び出てきた!!!!

急ブレ------キ!!!

うおーー(@_@;)ーーー!! 
ガッコんガッコン!!
ノッキング起こした!!

おじさん!
いくら田舎道だからって、危ないよ!! 
ちゃんと車来てないか確認してから発進して!!

今のタイミングは、確実にアウト!
隣に友達が乗ってたら、
自重で絶対ぶつかってた!!!

間一髪セーフ!!!

ひゃ~~~( ;∀;)
また、死ぬかと思った~~~
今日、何度目かなぁ・・・ 
三浦半島、マジこあい・・・

ほんと、弁財天様に旅の祈願をしておいてよかった・・・
してなかったら、絶対どっかで事故ってるよ~~
ありがとう♪ 弁財天さま♪
(この時、親指をたてたドヤ顔の弁財天がちらりと頭をよぎりました)

そんなこんなで、
Timesに車を停めて、いざ! 楫の三郎山(かじのさぶろう)神社!!

あの小高い山の上っす~~♪

や、結構すごい力をもっているというか。
うん。なんか、登っていいのかなって気分になる神社さんで。

だがしかし!

せっかく来たのだ!

ご参拝して、パワーチャージしていかないと!!!

というわけで、
とっとことっとこ登って上まで!

ひゃっは~~ 結構急な階段!!
もうちょい! もうちょいだ!
あれにおわすは~~~~ 楫の三郎さん!!

というわけで、
ご挨拶、ご挨拶っと~~~ パンパン!!

どうぞ私のパワーをお使いくださいっと~~~♪

っと・・・・とぉおぉぉおおおおおお!!!!!

ずわぁ~~~~~~っ
なんか大量に持っていかれましてん(@_@;)

枯渇してたんですねぇ・・・(;’∀’)
結構信仰を集めていらっしゃるように思いましたが。

ま、これでメイン・イベント1か所目終了!!
ちょっと安堵です。

小高い山の上にいらっしゃるのです
てっぺんから見える岩礁がすごい! 見事な地層!!
曇り空が光ってきれいでした~♪

やー、城ヶ島って、
関東の南側を守ってくれているところなのだなぁと、
つくづくしんみりこっくりと思いました。

この調子で、次は伊豆半島かなぁ。
烏帽子山、呼ばれて2年半くらい行けてないけど・・・
そろそろ行かないとまた枕もとで連呼されそうだしなぁ。

あの辺、多いから。神様(;’∀’)
1泊2日くらいで、また神様アスリートかなぁ。。。

う~ん、また考えよう・・・

というわけで、時刻は12:05

はははは・・・マグロ食べてる暇はない~♪

安全運転で、ゆっくりまいりましょうか~♪

それでは、
次なるはしらへ向けてGo!なのです!

オマケ ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

こちら、楫の三郎山(かじのさぶろう)神社のご由緒書きです

にゃんか、ボロボロにゅ~~~(; ・`д・´)

城ヶ島の対岸、三崎に「海南神社」という神社があります。

ちなみに、海南神社は弁財天様です。
もちろん、今回のルートに入っております。
(もう、嫌な予感しかしないのですが・・・)

その海南神社の祭神、藤原資盈(つけみつ)という、
天児屋根命(あめのこやねのみこと)の末裔が
864年、九州博多より出航したが、
嵐にあってこの三崎に流れ着いた。

その時に船のかじ取りをしていた三郎を、
この地にまつったという逸話があるそうです。

また、この由緒書きによると、
藤原資盈(つけみつ)公が三郎に
「私の住むとこはあるか??」と聞いたところ、
三郎が梶を手に取り、占いで出た結果が三崎だったということで、
それが神号(神社の名前)になったとされるお話もあるとか。

さらに、大蛇が出るとのことで、
大正時代までこの山には誰も登らなかったらしいです。

もう少し詳しく調べられている方がいらっしゃいましたので、
ご紹介させていただきますね。

鎌倉遺構探索
神社人

どうやら、藤原資盈公の部下は、
太郎から四郎まで、4人いたらしいです。

それぞれ神社があるそうですが、
この三郎神社は、由来を見るに866年
でも、太郎の神社(諏訪神社)は創設1467年
(今回、太郎と次郎からは呼ばれていません。)

ん?? なんかおかしない??

ここは追及したい感じですが・・・
ちょっと今、資料をあさっている暇がないので、またの機会に。

どうやら『三浦こども風土記』という本から引用していらっしゃるようですが、
この本そのものも販売も図書館の貸し出しもなく、
すでに個人所有か国会図書館か、という扱いになっているようです。

国会図書館にはおいてありましたw
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I099786547-00

ヲタ心をくすぐる話ですが。
頭の隅っこにでも置いておき、またきっかけを探っていきたいと思いますw

zuihou.phoenix
  • zuihou.phoenix

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